植物にも、人間にも「栄養生長」と「生殖生長」とがあります。但し、植物の場合「生長」であっても、人間のような動物の場合には、「成長」と言う字を宛てます。また「生殖成長」でなく、「生殖活動」と呼んでいます。

 植物の場合は、生育ステージによって、「栄養生長」と「生殖生長」がスイッチの入替で行われています。はっきりと区別されるのです。

 

 例えば、園芸相談で「毎日、液肥を与え、毎日、水やりをしっかりしているのに花が咲かないのは何故ですか ? 」という質問が寄せられます。特に、「洋蘭」の栽培に多い質問です。

 この場合は、「咲きません」、何故なら「生殖生長」に転換されないからです。

 十分な「肥料と水」が満たされていれば、「生殖生長」に転換されないのです。

 

 植物の「開花」は、この他にも「気温」や「日照時間」にも左右されます。

 花を開花させる為には、「積算温度」や「積算日照時間」が関係しているのです。桜の花なども、寒い低温の冬を越さないと花が咲きません。本来ならば春先に実を付ける「苺」をクリスマスや正月に出荷する為には、「夜冷」処理や、気温の低い「山上げ」処理をしなくてはなりません。

 

 洋蘭などの花を咲かせる為には「チッソ肥料切り」や「水やり制限」をしなくてはなりません。満たされた生活の中では、子孫を残そうとする「生殖活動」への転換が為されないのです。

 

 このことは、人間社会の「少子化」とも共通しています。戦争のような生死をかけたような生存下では、生殖活動はとても大切な行為なのです。逆に、安定した平和な時代、飽食の時代には、女性は性生活を求めても、男子には生殖活動の意欲は生まれて来ないのです。

 

 芝草管理上でも、極端な「水制限」や「チッソ肥料削減」は、芝草のみならず、メヒシバやスズメノカタビラの生殖生長を促すことになります。花を咲かせ、穂がつくのです。周辺に種をまき散らすことになります。

 ハングリー生活、ハングリー精神の養成は、徴兵制度でも生まれます。甘やかしだけの教育制度からは生まれません。生命の不備でしょうか?